「道」楽クエスト

与曽井清司の個人ブログです。どんな場でも楽しめる生活スタイルを日々紹介します!生活を「ちょっと楽しくする」にお役立てください

30代に入りましたが、未だに学び方がぼんやりまだわからないんですが?

連休真っ昼間に、徒然文章を書こうとChromebookを立ち上げています。

 

今日は学び方を考えます。

 

小学校から大学、社会人になってからもまあ勉強に費やした時間は数え切れません。集中していたかは別として、朝から夕方まで先生の話を長々耳にしていたはずです。

しかし、改めて学び方ってそもそもどういうものなんだろうと思ってみると、系統立てて説明できないんですよね。

そこで、今自覚できることをちょっと書いてみようと思います。

比較する方法ですと、過去と今の考えの変化がわかりやすいかもしれません。

 

ポイント

・これまでは、賞金獲得・進学・資格ゲット・昇格が目的でした。 

・今は、「大きな目的」をまずもって、1つ1つの知識やスキルはその手段として捉えています。

 

賞金獲得〜中学時代

中学校時代を思い出すと、自分が5科目に限って勉強に集中していたのは、学びが楽しいからではありませんでした。

 

当時父から提示されていたのは、テストで80点以上とったら1,000円、100点とったら3,000円という額面だったと記憶しています。あとの勉強方法は自由にしろと言われていました。

答案用紙がお小遣い交換券だったわけです。

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中学生にとって、1,000円、3,000円は大金!

しかも1科目ごとなんです。ということは5科目頑張れば、とんでもないボーナスがもらえる訳です。それは気の入れようも違うというもの。

中間テスト、期末テストの時期は「テスト後に何を買おう(ワクワク)」という気持ちでいっぱいでした。

 

ちなみに、これはゲーミフィケーションの1つである「ご褒美(インセンティブ)」という手法です。

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メリットは、当時の私のようにある程度のポジティブな姿勢で学習に身を入れられること。

そのモチベーションで結果にも繋げられることです。 

デメリットは、学ぶことそのものの楽しみに関心がなくなってしまうことです。

 

学習をあくまでもお小遣いを稼ぐ手段にしか捉えていません。

その証拠に、お駄賃がもらえない、5科目以外の授業、「美術」「音楽」「体育」は価値の無い科目だ!と、友人にさもしたり顔で話していた記憶があります。

今思うと赤面するしかありません・・・当時の先生方にお会いする機会があったら、恥を忍んで謝りたい気分です。

 

そういう訳で「好き」「興味津々」という感情無しに学ぶ癖を身につけてしまいました。これは後々尾を引く悪癖となります。

 

進学クエス

進学という「ご褒美(ステータス)」も、この賞金システムと大きな差はありませんでした。

どこに進学するのか、何をするのか、ということにさしたる疑問を持たないまま、目の前の受験というクエスト(小さな障害)をどうクリアするか。クリアしてからのご褒美(ステータスや進学祝い)ばかりに気を向けて勉強していました。 

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これを続けると

この学習の癖は、大学(単位ゲット!)社会人(資格ゲット!)でも続きました。

まぁ、よくぞ未修正でここまで来たものだと感心するキャリアですね。

で、この一連の学習で何が起きるか。

 

学んで、得た知識を活用する方法を知らない(使う気がない)」という状態になるということです。共感いただける方いますか?

 

理由はこれまでの経緯を見ればとてもわかりやすい。

何しろ、点数をとること、進学することが目的だったので、その後は何もしなくていいんです。

例えるならクリアーしたTVゲームを本棚に置きっぱなしにする、ツタヤに中古ソフトとして売るようなものです。

「知識は一時的に得るものであって、使うものではなかった」といえます。

 

昔、孔子先生が

学びて思わざればすなわちくらし

ということを言われていたそうです。

 

知識を得ても、それについて自分で考えなければいけないよ。」という戒めです。

自分の浅薄な学びのキャリアを真正面から一閃してくれる、とてもよい言葉でした。

 

上記を踏まえて、最近思っていること

学んだことが、自分の生活にどう活かせるのか 〜実生活でこう活かせる!

○○をしたい、だからこれを学ぶ        〜夢が叶う

これを知ることで、相手にとってプラスになる 〜助けられる

学ぶ中で自分が充足する(ハマる)      〜楽しい!

 今、学びについて考えるときにはこうしたポイントで考えるようになっています。

学んで終わりではなく、始まりであるということ。

加えて、学び自身が楽しいものだと実感することに目を向けるようにしています。

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一番のメリットは、自分の生活や仕事、夢に今の学びが直結している生活実感をもてること(もとからそのつもりで取り組んでいるので)

今日の気づきが明日の仕事にすぐつなげていけるのは、なんとも言えず嬉しいものです。

 

ですが、この考え方にもデメリットがあります。

それは、「5科目」「100点満点」「テスト範囲」といった、学校の教育システムが作ってくれていた、仕組みが全く無いことです。

いやいや、その狭い枠組みが問題だったんだろ!?と思われる方もいるかもしれません。

しかし、「学習にハマる(楽しい)」という点に限定すると、こういった枠も使い方しだいでは悪くありません。

大きな目的を持つ、ということは、その手段は無数の中から選べるということです。

どの分野の知識やノウハウを、どういった手段で、どう習得するかは自己判断に委ねられます。これは、必ずしも簡単ではありません。負担に覚える人もいます。どちらかと言えば、私もその部類に入るでしょう。

 

行動心理学で、「無数の選択肢を与えられると、消費者は選択する意欲を失う」という実験結果があるそうです。

3つの商品、松竹梅から1つなら選べる。

でも100アイテムある類似の商品から1つを選ぶのは、知識と責任と決断力を迫られます。

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目的ありきの学習とは、「お受験勉強」ルートを生きてきた私にとっては、この100アイテムに等しいのです。

而立(自立)の世代と言われる30代ですが、これを楽しめるようになるまでは、学習的自立にはまだ程遠い。

これからの課題は、「自分にあった学習法の決め方、作り方」を考えることにあると言えるでしょう。

電車がレール外を走るのは、骨が折れそうで、やりがいがありそうです。

 

↓ちなみに行動経済学といえば、この方が時の人ですね

 

 

休みの日のお楽しみー 遊びに、断捨離に

ブログを2ヶ月近く空けていると、文章の書き方を忘れてしまいそうになります。

仕事では毎日文章を打っていても、その内容はビジネス定型文に似たものになりがち。

間違ってはいない。しかし、表現力を増やさなくても、「なんとなく」作文して、相手に伝えてしまいます。脳みそにも、伝える相手にも良くない習慣ですね。惰性にならないように気をつけないといけません。

 

さて、今週は木曜日から4連休。長野の自宅に帰省中です。

遠出はせず、自宅で、残っていたゲームのクリアーに専念です。はい、以前ブログでも触れた、ドラゴンクエスト11です。

朝に夕に、深夜にプレイしてようやく最後のエンディングまで見ることができました。ラストのボス強かった・・・

そして長かった。大阪にいる間は全く手が出せないので、自宅にいる間しか遊べません。おかげさまで数ヶ月楽しませてもらいました。その点は良かったかな?

断捨離の1時間

そのあとに私がしたことは、大阪の赴任先でも意識している「断捨離」です。金属ゴミの日だったので、ちょうどいい片付け日和でした。

ただ、その好機に合わず、作業自体は大変でした。

大阪は

大阪に引っ越した時と比べてみると、大阪は元から何もないところからのスタート。収納ケースから、実際に持ち込むものまで、0から考えられました。

例えば、「家電製品は、パソコンと、湯沸かしだけにしよう」と限定する。「文房具は、仕事で使うもの以外もってこない」と持ち込みを制限する。という風です。

断捨離とはいいつつ、捨てるモノが無いのでかんたんです。

自宅は

しかし、それを自宅でやろうと思うと、この難しさが一気にあがりました。全く意識せずに、「なんとなく、捨てずに取っておいた」モノ、「今は使っていないけど、いつか使うかもしれない」と思い込んでいるモノが山積みなのです。

 

それらをひっぱり出すのに、朝9時から1時間を費やしました。

そして、ようやく自分のデスク周りを見渡して、不要なものをピックアップしました。こちらの写真です。

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手放すもの

・無線のヘッドフォンシステム

  娘が赤ちゃん時代に夜中テレビをみるためのもの 3年以上未使用

・ペン立て

  何もたてずに1年未使用

・バックインバック

  1年以上未使用 バックの数より多い

・ランニング用バック

  1年未使用 そもそも荷物をもって走らない

・なぞのケーブルたち

  未使用期間もわからない

・大判レターケースとスチールラック

  これが一番の大物。ものを減らして棚の中に必要なものを収納すると

  「そもそも収納ケースがいらなくなる」ことに気づきました。

  長年つかっていましたが、この機会に手放すことを決意。

 今回はこんなところで勘弁したるわー! の気分で手放しました。

 

これまでは、

「気になるものはなんでも買う」→「収納しきれないので、収納ケースを買う」

という購買習慣だったので、かなりのシフトチェンジです。10〜20代の自分に見せてあげたい気分でいっぱいです。

ただ一点誤算だったことがありました。それは、壊れているものがほとんど無かったので、妻からは、「なんでまだ使えるのに、捨てちゃうの!」というご不興を買ったこと。

そもそも買わなければこのやりとりも無かった訳です。今後は捨てることと一緒に、買うときの判断もしっかりしていこうと反省したのでした。

 

 

長く、ゆっくり、走る

土日はどこにでかけましょうか?

自宅と違い、単身赴任中。しかも家に戻らない週末は、時間がたっぷりあまってしまうので、逆に時間があいてしまいがちです。

お掃除ワイパーでフローリングをすっきりさせて、普段の洗濯に加えて、布団のシーツや枕カバーなんかも普段の汗汚れをおとして、一段落。

さてその後の時間をどうしましょう?

そんな時に、私が普段しているのはジョギングです

過去のブログでも少しお話したことですが、私が走り始めたのは30を過ぎてからです。

それまでは、立ち仕事のフロア作業が多かったとはいえプライベートで体を動かすことはほとんどありませんでした。

一日中家の中。インドア社会人の典型です。

それに加えて、管理職になってから懇親会(=飲み会)が倍増しました。

仕事半分、プライベート半分でアルコールを摂取していた結果、三十路に入り、すぐに健康診断にひっかかることに。自分の健康はいつまでも続かない、そう気づかされました。

とはいうものの、何をすればいいんだろう?

色々迷ったあげく、始めたのがジョギングでした。

何しろ場所は不要、相手もいらない、ものも少しでいい

汗をかいてもいい服と、シューズがあれば、すぐに始められるのがジョギングです。とにかくTPOの制約無くできるのが、このスポーツの強みでしょう。

始めた当時(5年前?)は2kmも走れない体でしたので、朝、外にでても「ほとんどお散歩」です。少し走っては息切れ。そのあとは外の空気を吸いながら、川沿い、畑の端をウロウロしていました。

また、長野の北部に住んでいましたので、冬なんかは本当に寒いのです。天気は万全でも、扉を開けたときの冷気です「いや、これはやばい!危険!」と、思わず家の中にすごすご戻りそうになりました。

それも2年、3年続けていると、体も少しずつ覚えてくれたようで、長い時間走れるようになってきました。

プロのスポーツですと、「年齢・体力の限界」という言葉が引退の理由の1つに数えられます。しかし、アマチュアですとその逆。続けて行くうちに体力が伸びていくような気がしてなりません。それほど過去の体力が底辺だったともいえますが。

こんなことがありました

一昨年のことになります。長野県は大町市のマラソン大会に参加しました。初めて参加した大会で、その時は2回目。山や湖の景色が美しく、走ってる最中にもスマートフォンで撮影してしまうようなコースを走ります。ただし、アップダウンが激しいので、途中で足がもつれてしまうこと必至。好きな風景だけど、もっと平坦にならないかな・・・と恨み節をたたかずにはいられません。

だいたい30kmを過ぎたころでしょうか?体力がそこをつき、行きも絶え絶えに走っていると、後ろからゆっくり走ってくる足音が聞こえました。

30kmを超えたあたりになりますと、だいたい同じような「体力0グループ」が固まっているので、人を抜いたり、抜かれたりということがとても少なくなります。ですので、近づいてくると足音にはすぐに気付きました。

振り返ると、大変年配の方がゆっくりとした、でも歩かずに、テンポのいい足取りで走っていたんです。その方には見覚えがありました。大会前の特別表彰で「最年長ランナー」としてステージに向かっていた方。確か92歳前後だったはずです。

私との年齢差は56歳。。。。その方に、30km過ぎで追い抜かれ。そのまま抜き返すことはありませんでした。

90歳を超えてフルマラソンを走りきる。この人は本当にすごいランナーでした。

それと同時に、これから始めても、ずっと続けることができるスポーツ。それがマラソンでり、日頃のジョギングなんだな。とも実感しました。

タイムであーだこーだいうんではなくて

最初走り始めると、1kmのタイムが7分、8分位。「全然早く走れない」と自分の体力を恨んだこともありました。

でもせっかくの休みに、自分のできないことに注目してテンション下げるのはもったいないですよね。

そんな気持ちをアップさせてくれるのが、LSDです。幻覚剤ではありません。

ロング・スロー・ディスタンス、長くゆっくり走る というジョギングの方法です。

長時間走ることで、筋力・心肺機能が十二分に活用され、効率的に体が動かせるようになるそうです。つまりスタミナがつく。

早く走ろうとすると、いつも動かしている体の一部しか働かず、全身運動に繋がらないんだそうです。

今日はゆっくり走ったり、心拍数が高くなりすぎたら少し歩いたりしながら120分をジョギングに使いました。これも、トレーニングの1つの方法だと思うと、楽しみながら続けられます。景色をみる余裕もできて、二重に楽しめる時間になりますね。

 

同じように「休みに何しよう?」という方。ジョギング・LSDはおすすめですよ。まずは走れる靴に履き替えて、外にステップしてください!

 

 

休息法=寝る ではない。頭を機能的に休めるための本

前から気になっていていたこの本。休息という単語に反応する私は、かなり頭が疲れているのかもしれません。

ここ最近遅め帰宅、早め出勤が続いてます。帰って、シャワー浴びて、布団にダイブ!この3点を通過して、気づけば朝です。

その朝も、どことなくだるく、なんとなく身体が重く感じています(連日飲み歩いているから?その通り。お酒も控えめにしないといけませんね)

そんな身体のニーズに合わせて必要なものに手をのばす。今回の読書は、本能に動かされたような気がしてなりません。

 

どんな本?

この本、アメリカで長年精神科医として勤めている方が著した、「頭の整理法」について書かれた一冊です。

タイトルだけですと、「睡眠方法」だとか、「疲れを残さないお風呂の入り方」といったものを想像します。

読み始めて「あれ?」 読む前にもっていたイメージとは違った本でした。

マインドフルネス、瞑想。初めて耳にするとスピリチュアル(脱科学的)な雰囲気を醸し出す単語が冒頭から並びます。

本の中でも、内容の自己評価はそのようなものでした。思わず眉唾ものの意見をこの本ではテーマにしていると。

しかし、作中の休息法を実際裏付けるのは、実験に基づいた科学的検証結果です。

「脱科学」を「脳科学」で解き明かし、具体的な生活スタイルを提案しています。

 

例えば、「早起きは三文の得」という諺。早く起床することが、科学的に健康的な活動だと、実験結果から証明する記事がネットに掲載されるとする。すると、「諺ありき」で徹頭徹尾信じていた人だけではなく、真偽を疑いがちな性格の人も、信じる心が芽生えやすくなります(その結果も捏造!なんてことがあるので100%ではありませんが)

昔から何度も聞いていた「当たり前」に、「なんでそうなるのか?本当か?」の疑問を なげかけ、答えてくれます。

 

この本では、「瞑想はなぜ心にも、さらに身体にまで好転的な効果を与えるのか?」「日頃生活する時に、どんな心持ちでいれば快適な生活になるのか?」といった問いに答えてくれます。

私同じようにちょっと疲れを感じている方はご一読をおすすめします。

 

ちなみに個人的に好きなフレーズはここ

つまり、大切なのは、『考え』に対して傍観者であり続けることなんじゃよ。いいか、人間というのは、あたかも『考え』を自分自身だと思いがちじゃ・・・

傍観者、鳥の目で物事を見つめる習慣は、他人のためだけでなく、自分のためにも有効なようです。

 

 

 

 

ドラクエ11で繋がる楽しみ

皆さん買いましたか?

先月末、ドラゴンクエスト11が発売されました。テレビゲームをやっていない人でも、名前は知っていると返してもらえるビックタイトルです。

職場で話題にすると、どのシリーズを「現役でやっていたか」なんて部活のような表現が自然に使われます。

一番ハマっていた時代と言い換えれば良いのでしょうか?男所帯の職場だと鉄板で盛り上がる話題の一つです。

 

私も家族でプレイステーション4版を通販で購入し、絶賛プレイ中です。

とはいうものの、単身赴任という身の上。家に戻ったタイミングでしか自分のプレイが進みません。おそらく奥様が先にクリアーしそうな雰囲気です。あーー悔しい。

遊んでみて、ストーリー以上に・・・

久々にプレイしているこの大物ロールプレイングゲームですが、今回遊んでいて一番実感したことがあります。

ゲームそのものストーリーというよりは、仕組みや影響という点からの視点です。

それは、

ゲームを通じて、思った以上に家族みんなでインドアを楽しめる

ということです。

「みんなでワイワイ」を目的にした、パーティーゲームに限ったことではなく、一人用のゲームでも家族の話題になって一緒に楽しめたのです。

↓こういうゲームに限りません

Wii Party U

Wii Party U

 

なんで、一人で黙々勧めるゲームのはずなのに、家族みんなで楽しめるのか?(当ゲームは3DSでも発売されていますが、今回はPS4版に限定しています)

2つほど考えてみました。

ちなみに私の家族は、私と、奥さんが根っからのテレビゲーム好き。小学生の娘が3DSで少しテレビゲームをかじっている3人家族です。

 

1 据え置きゲーム機=大きな画面をみんなでみれるメリット

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改めて言葉にしてみるとありきたり。

ですが、ポータブルゲーム機や、スマートフォンアプリが主流になっている時流の中ですと、この特徴はメリットとして輝いてくるポイントです。

普段、娘がニンテンドー3DSで遊んでいる時には、隣で別のことをしている私からすると、どんな画面をみているのかわかりません(何しろ画面が小さいので)

なんとか見ようとして、横から覗き込む?もちろん出来るのですが・・・状況がわかっていなければ、そこまでして見ようとも思いません。

 

対して据え置きゲームの場合、ゲームの進み具合がリビングに「公開」されています。

全く違うことをしていても大事なシーン(ボスとの戦闘など)では、自然と家族の目が集まります。

娘が遊んでいる時には、思わず茶々を入れてしまうわけです(これは良くないですね)

 

www.itmedia.co.jp

上記のような「テレビ離れ」記事が出てきたのも昨日今日の話題ではありませんが、こんな世情をものともしない、テレビを介した一体感を感じました。

テレビ関係者の方に悪い誤解を招くのを恐れずいうのであれば、「普段テレビ番組の前にはあまり集まらないけれど、観る価値があるから、家族の視点がテレビ(画面)に集まった」といえます。 

その価値というのは、すなわち、テレビを通じて遊ぶ時間、楽しみを共有する一時です。

2 子供の「新しい出会い」だけでなく、大人の「懐かしい」が融合している

 この点は他に引用している記事を多数拝見しました。最新作でありながら、音楽や、言い回し、仕組みといった細かい部分で、30年以上遊んでいるユーザーの心に刺さるリメイクを行っています。

 例えば、作中の大切な場所(ボスとの戦い!)でのBGMが、ドラゴンクエスト4(初回発売:ファミリーコンピューター)からの引用でした。

 また、システム上、ドラゴンクエスト2(初回発売1987年)まで使われていた、「復活の呪文」が、多少形を変えていますが、PS4で再度復活しています。

 遊んだことが無い方のために軽くご説明します。ファミリーコンピューターの時分は、今のような「データ保存機能」がソフトや本体に備わっていませんでした。

なので、遊んでいる途中のゲームは電源が切れてしまうと必ず1から遊ぶ必要がありました。

シューティングやスポーツを題材にしたゲームでしたら、最初から最後まで1回で遊びきれるボリュームのものが多いので、問題ありません。

ですが、ドラゴンクエストのようなロールプレイングゲーム。クリアーまでに数十時間が必要なゲームではそうはいきません。

そのために、初期使われていたのが復活の呪文、パスワードです。作中で書き取れるこのパスワードをゲームスタート時に入力することで、その遊んでいる途中から再開することができます。

この仕組み、ドラゴンクエスト3が発売されてからは、保存(セーブ)機能がついたため、無くなっていましたが、この度数十年の時を経て復活しました。

 

通常、新しいドラクエで遊ぶ時には、使わなくても遊ぶことができます(もちろんPS4にはセーブ機能がありますよ!)ですが、思わず選らんで「復活の呪文」聞きたくなってしまうのが30代の性質、です。

さらに、こんな復活の呪文を画面に出してニヤニヤしていたら、8歳の娘が「書いてあげる!」と言い出しました。

もってきたのは自分のメモ帳とボールペン。視線を画面とメモ帳に行ったり来たりさせながらみながら、文字の羅列を書き写していきます。

 

これ、数十年前の自分と全く同じなんですよね。四半世紀前と同じ風景を観るとは思いませんでした。

考えついた方は、ゲーム上の効率性とか、必要性よりは、この風景を再現したかったんじゃないかな?と考えてしまいます。ゲーム内というよりは、そのゲームを遊ぶこちら側のプレイスタイル(遊び方)をデザインされた気がしました。

これは面白い仕組み、というよりは、懐かしく、家族で楽しめる仕組みです。

 

ドラクエは仕事に活かせる?

内容だけでなく、仕組みの部分で大いに感銘を受けているドラクエ11を、仕事視点でも考えてみます。

 

 ゲームと仕事、一見水と油のように見えますが、ドレッシングのように瓶を上下に振ると美味しい調味料になる。というのが日頃私が考えていることです。

ゲームは、仕事を充実させることができます。

 

以前からゲーミフィケーションという名前を紹介してきました。

ゲームが楽しい要素を、ゲーム以外のこと、仕事や家庭などに当て込むことで、より自発的なアクションを促せる仕組みです。 

gamification.hatenablog.com

 最新作をプレイする中で、その中で使われている仕組みの幾つかが、私にとって効果的であることを体感しました。

自分から思わず遊んでしまう、自発的に動いてしまう効果をもっていました。やらずにはいられない。気づいたら夜更かししてしまうのです。

今回ご紹介したのは、特に他の人(家族)とハマってしまう要因を抜き出したものです。これ以外にも、自分が時間を思わず費やしてしまうポイントは沢山あります。

 

この心の動きを、もし遊び以外にも当てはめることができたら。

仕組みを図る人にとっても、その対象ー例えばお客様や取引先、家族ーにとっても好意的に受け入れられるのではないでしょうか。

実際、ドラクエ≒仕事という書籍を検索すると枚挙に暇がありません。

1つの娯楽として楽しみ切るだけでなく、実は月曜日からの仕事にもヒントになるかも?というつもりで遊んでみても面白いですね。

 

 

〜あと全く余談です。 私は街中のどんな人達にも気兼ねなく話しかけ、数秒で大切な情報を聞き出せる主人公キャラクターに心から尊敬の念を抱いています。

怪物を倒すよりも「勇者らしい」と思える所以です。

 

 

 

 

質問 自分の生活に一本の芯があるとしたら

おはようございます。与曽井です。

この3連休は幸い実家に帰省できました。今は長野の自宅からエントリーしています。

 

帰る時の電車のすし詰めには辟易しました。。。

高速バスは予約が遅れて乗れず。代わりに乗った新幹線や特急でしたが、連休前日ということで帰省客と旅行客で満杯でした。

結局座れず、数時間立ちっぱなし。不意な筋トレになってしまいました。おかげさまで少し筋肉痛です。

 

さて、今回の話題は自問自答するつもりで、タイトルの件、自分の背骨といいますか、過去を振り返った生活の仕方を考えてみます。

 

私は今年で37歳になります。

これまで、学校に通い、就職し、転職。一見通う先も、やることも変えながら生きてきました。

そんな中で、自分に通してやっていることは何だろうか?

何か、自分が徹頭徹尾してきたことはあるのだろうか?それを考えてみます。

ちょっと自分史的な話になるかもしれませんが、おつきあいください。

 

1 遊ぶことは中心

2 遊んでいるのに満足しない

3 本当に求めていたものは○○

4 なので、これからは

 

1 遊ぶことはとにかく中心

 

 

学生時代から、最初の仕事まで、自分の中心にあるのは、とにかく「遊び」でした。

 

1980年代というと、ちょうどファミリーコンピュータが発売され、家庭用ゲームが出回り始めた世代です。

 

我が家にはファミリーコンピューターの代わりに、MSXという、テレビにつなぐようなパソコンや、NEC製のPCエンジン、セガ製のメガドライブがテレビの前に鎮座して、日々私を楽しませてくれました。 

ーこんな環境を用意してくれた父、兄に感謝感謝です。

 

そういった訳で、学校が嫌いというわけではありませんでしたが、日々の中心はゲームであり、それを一緒に遊ぶ友人でした。

ゲームの発売日には有休(いわゆる自主休日)をとっていたことが懐かしいです。

 

あと、原体験として残っているのは、自分で作ったおもちゃで友人逹に遊んでもらったことです。

子供の手遊びのようなもので、ダンボールや、ビー玉、輪ゴムを使い、簡単なピンボールを作ったことがあります。小学校3,4年生くらだったでしょうか。

それが思いのほか出来がよく、クラスの友人間でとても流行ったのです。

 

自分が遊ぶ、ということと同時に、「遊んでもらうこと、楽しんでもらうこと」を初体験したのはこの時です。 

 

20年経っても、たまにこの時のことを思い出す。とても貴重な体験だったに違いありません。

 

2 遊んでいるのに満足しなくなる

 

遊びに遊んだ 学生時代をすぎた後は、就職です。

 

遊びというのは憎らしいもので、その場では何よりも代え難い充実感をくれるのですが、それそのものは、表だって人生の方向性を指し示してくれません。

 

もちろん、深いところでは、生き方への気づきがあったり、人生の選択をするときの大切な原体験になってくれることは体感しています。

 

※つい最近体験したことです。遊びの中でも、特に精髄が深められているスポーツという分野。

ここに携わっていた人は、とても仕事に対して意見が深い、もしくは行動力に優れているなーと気づくことが多々ありました。

もと甲子園球児であったり、サッカーの全国大会出場した選手は、発言の勘所がわかっていたり、商談の落ちどころ、すなわちゴールがどこなのか、素早く見つけます。また、感情的になる以上に、目的に焦点をあわせる、集中力を高める術を熟知しています。

「一芸に秀でるものは多芸に通ず」 という宮本武蔵の一言を理解するきっかけになりました。

 

とはいえ、先ほども言ったように遊びそのものが人生の指針を示すものではありません。

 

大学という猶予期間が終わったら、自分はどうしようか、どうすればいいんだろうか・・・

 

そんな時、自分がぼんやりと考えたことは次のようなことでした。

それは、「遊びに関する仕事だったら、楽しいに違いない。逆に、それ以外の仕事はただの作業であって、楽しくないに違いない」

この浅はかな思いこみでした。

 

24にもなってこの考えにどっぷり漬かった大学生が活動した先は、娯楽業界です。

 

人が遊び、遊ばせる場に関われば、これまで24年間してきた生活と矛盾なく過ごせるのではないかと思ったのです。

ここまでの経緯をお伝えすると、なるほど、一本筋の通った選択だ!と思われる方もいるかもしれません。

 

ただ、今振り返って思うに、当時の私は筋を通したというよりは、筋をはずれた道を知らなかった、選択すらしていなかったのだと思うのです。

 

大学の学科を消去法で選んだように(数学ができなかったから選んだ、消極的文系学生と呼びます)今楽しいことを続けたいという継続的な欲求を優先させていました。

 

「何かをしたい」というよりも「今の考えを変えたくない」

「選択肢を広げたい」よりも「革新的に価値観を変えない、無難な道を選びたい」

 

こんな考えを、美辞麗句で柔らかくつつみ、キャリアプランを作っていた。これが今の見立てです(無難な会社なんで受けました~なんていって、内定とれたらえらいことです)

 

今だからこそ、10年以上前の自分を分析できますが、当時はこの美辞麗句をもって会社訪問です。

 

最終的に自分が一番慣れ親しんだ娯楽の場、ゲームセンターの会社から内定をいただきました。

その会社には約10年在籍しました。

店舗運営を1スタッフとして学びながら、年がら年中ゲームに触れる日々です。

もちろん仕事中に「遊ぶために遊ぶ」ことはありませんでしたが、ゲーム機を組み立てたり、より遊びやすくするためにメンテナンスをする作業はとても充実した日々でした。

 

また、娯楽の1つとして、ゲームを通したイベントを企画・運営することがありました。

 

たとえば、対戦ができるゲームでは、ほかのお客様と競い合うような大会を行います。

 

ゲームにとっつきずらいお客様には、まず触れてもらうことを目的に無料ゲーム提供を行うことで、抵抗感をさげてもらうように配慮しました。

運営と、企画を行う日々は、入社前願っていた内容とイメージはずれることなく、とても充実した仕事でした。

 

そのイメージ、仕事感がずれ始めたのは、20代後半からです。

このタイミングで、店長・エリアマネージャーと、管理職的としての立場、仕事は自分の任務となってきました。

 

これまで行ってきた仕事は優先順位の下に回りました。そして、部下育成指導や、全体の数値管理、戦略立案、苦情対応といった仕事がリストの上位を占めるようになります。      

 

ここに至って、仕事中の感覚が変わる感覚がでてきました。ストレスという言葉で言い換えると近いかもしれません。

 

「自分は今なにをしているのか」「何とか解決させよう」という気持ちが優先し始めるようになりました。

遊びという仕事をしていたはずでした。そのときも同じビジネスモデルにいながら、遊びの感覚が徐々に無くなってしまったのです。

当時はとても不思議でした。遊ぶ仕事にいるのに、満足しないときがある。10代、20代前半のような気持ちになれない。

自宅のテレビに向かい、白いコントロールパットを握っていた気持ちはどこへ?という空虚な気持ちになりました。

 

3 自分は遊ぶことが好きなんじゃなく、○○を求めていた

 

今までしていたことに疑問を覚えはじめた30代前半。このあたりの日記やメモをみると、仕事の内容とともに、その意義や、社会への貢献といった言葉を使って仕事のことを考えているのが読みとれます。

 

物心おぼえた頃から触れていた「遊び」に裏切られたあと、次どうすればよいのか、試行錯誤していたのだと思います。

就職直後は、自宅での読書というと、実務的な知識を増やすためのもの、たとえば簿記やサービス接遇についての本をよく読んでいました。それが、この頃は処世術や考え方についての読書にシフトしていました。

 

小池龍之介さんの 考えない練習 

考えすぎたり、心のわだかまりを自分の意志だと勘違いしてしまうことを戒められました。また、興奮や刺激を追い求める生き方への注意喚起を受け取りました。

  

井上明人さんの ゲーミフィケーション 

ゲームそのものだけでなくとも、楽しみは提供できる。そのエッセンスを盛り込んだ社会の仕組みや、ビジネスサービスは、より利用者に充実した時間を提供できることを示してくれました。

 

フランクルさんの 夜と霧 

ナチス強制収容所で死と隣り合わせであっても大丈夫。家族の生き死にがわからない状態であっても、美しさを感じられる瞬間があることを実体験から伝えてくれました(先日この本を話題にしてくださった講師の方がおり、大変驚きました)

 

お世話になった本の名前をあげれば枚挙に暇はありません。

 

こういった本のほかにも仕事外の人との出会いも大変影響を与えてくれました。

主に出会った場所は朝活です。早朝の一時間に職場近くの喫茶店やファミリーレストランがその集合場所でした。

まったく違う仕事をしている方々の苦労話や、自分の夢のために企業活動をしている方。一人一人の話が新鮮そのものでした。

 

そして一番の衝撃と、確信を与えたのは、「娯楽業に携わっていない人も、充実している。楽しそうな人がいる。」という事実でした。

 

当たり前?

いえいえ、これをに気づくのに私は30年かかりました。

 

回りをみればすぐにわかった?

いえ、わかりませんでした。

自分が遊んでいる時に他の商売がどうなのか、想像する必要性がありませんでした。悩んでみて初めてその切り口を手に入れました。

 

こういった出会いや気づきを経て自分がもった価値観、人生観は次のようなものです。

 

(1)楽しみは遊ぶことからのみ得る感覚ではない。

ある条件がそろうとどんな時、いかなる場所でも得ることができる。

 

 (2)自分はその楽しみを遊び、ゲームからしか得る術を知らなかった。物事の見方が狭く浅かった。

 

(3)その見方を広げていくことを自分のミッションにすることで、自分も関わりあう人もより楽しい感覚を得られるのではないか?

 

(4)ただし、その楽しい感覚に善悪は無い。

悪いこと、誰かに害悪をなすものでも、楽しめてしまう。なので、より社会貢献だと位置づけられる行動を選び、そこから楽しみを見いだしてみてはどうか。

 

この考えに至ったことが、30代での転職理由の1つになりました。

 そして今は、医療介護関係の仕事で働いています。

その業種業態を選んだ理由は(4)に基づいていることは言うまでもありません。

 

4 そして、今があると考える

普段よりかなり長文になってしましました。あと少しおつきあいください。

 

これまで述べたように、自分の学生時代の生活と、仕事につながる「遊び」への執着が自分の生活の大部分でした。

そして、仕事変わることから生まれた違和感は、それまでの働き方、生き方を省みる絶好の機会になりました。

いろんな方との出会いや、読書を通じて、自分の考えが「間違っていた」というより、「浅かった」ということに気づかされました。

 

今、自分のミッションとしていることは、この確信をもって、楽しみはどんな場でも生み出せることを確かめてみることです。

ちなみに、この楽しみとは娯楽や、レジャーといった1つのビジネスモデルに限らず、あらゆる業種・業態、家族関係を含んだ人間関係に当てはめられるものです(野心家です!)

 

また、まだまだ勉強不足です。

楽しみの本質とは何だろうか?悲しいとき、怒るときに強引に楽しむことは不自然では?なんてことはすぐに浮かんでくる疑問です。

この矛盾とどう向き合うのか?

この答えを見つけながら、頭の中だけでなく、実際に形にしていくこと。

これが、今思いつく、「自分の生活の一本の芯があるとしたら」という解答です。

 

一本の芯があることを良しとするのか、という疑問はありますが、一度考えてみると面白いテーマでした。

 

~皆さんが昔からやっていて、

 今でも思わずやっていることは何ですか?

 

2週間の病床生活から気づいたこと

こんにちは、与曽井です。

大阪生活も4ヶ月目。生活はというと、ここ最近は最悪の2週間でした。

先月20日位にこじらせた風邪(?)が、長期化。

熱・咳・鼻水と猛威をふるい、今日まで臭いもわからず、頭も回らない状態で仕事をする羽目になりました。

家に帰ると、目に入るのは天井か、鼻をかんでいるときのティッシュ

考えているのは、「どの体位で寝れば咳が出ないか」ということだけ。

今の職場に来て初めての経験でした。

本当に身体には気をつけたいものです。

 

そんな体験から1つ面白い発見をしたので、お話したいと思います。

 

「それどころじゃない」生活をしていると、日々のプレッシャーなんか消し飛ぶ

これです。

体調が悪い間。今回は6月中旬から7月に入るまでの間というのは、ほとんど思考の幅がありませんでした。

身体が辛いので、どうやって完治させようか、どうすれば楽に呼吸ができるか。そればっかり考えていました。

その後、少し治ってきた時に気づいたことは、この療養中の間というのは、普段考えていたこと。特に悩み事がまるで無かったということです。

例えば、「明日は〜の打ち合わせか・・・上手く話がもってけるのか?」とか、「次の話次第では、別途面談しないと関係がこじれそうだ」といった、家まで持って帰ってしまっていたような心配事がまるで無かったんです。

 

まさに、「それどころじゃない」状態でした。

 

かなり辛い2週間だったので、まだ体験したいとは夢にも思わないのですが、この発見には、感謝しています。

よく、「仕事のストレスは運動で発散しよう」、「好きな趣味に没頭すると嫌なことを忘れる」といった言葉を聞きます。

今回はこの病気版だったんでしょうね。

 

また、今日からはほぼこれまで通り仕事ができたんですが、その仕事に対しても、「また再開できた、仕事が出来た」という喜びのようなものを感じられました。

ここ2週間感じていなかった充足感とでもいうんでしょうか。

この感覚をいつまでも持っていられたら、もっと謙虚に働けるような気がします(何日持たせられるかが勝負です)

 

なかなかオススメし辛い体験でしたが、もし体調不良になった方いましたら、回復後にはこんな気分になれますよ!

という、ちょっと気休めになれば幸いなお話でした。