読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「道」楽クエスト

与曽井清司の個人ブログです。どんな場でも楽しめる生活スタイルを日々紹介します!生活を「ちょっと楽しくする」にお役立てください

方法序説を「読み飛ばす」ワープ読書

今朝は、すすきののマクドナルドでこのブログを書いています。

仕事の出張で2泊3日の札幌出張、先週まで50年ぶりの大雪やら、新千歳空港が3日間閉鎖やら、恐ろしい噂ばかりがネット上で飛び交っていました。昨晩無事北海道の地を踏めた時には思わず奥さんにメール送ってしまいました・・・ マックコーヒーが美味しい、美味しい。

 

さて、そんな往路で、ちょっと難しい(と思っていた)本にチャレンジしました。

デカルトの『方法序説』です

 

・突然どんな心境? 「誰でもわかる考え方入門~基礎編」

 

以前から買ってはいたものの、手がなかなか出なかった、所謂「積ん読」の一冊から、出張に持参しました。

正直、前知識無しで、「名前は知っている」程度です。

この本は、41歳のデカルトさんが、自分はどうやって物事を考えているのか。全く確信できることが無い時に、まず何をよりどころにすれば、間違いは無いのか。といったことを、短文でまとめた一冊、処女作品です。

 

確かに、タイトルは方法序説ですから、

「初めての考え方、ノウハウを教えます」みたいな意味なんですよね。

タイトル通りなのに、「序説」なんて普段使い慣れない言葉のせいで、心に壁が出来ていたみたいです。こんなことで機会を逸しないように今後注意しないといけません。

 

・こんな一説もある

 

デカルトさん、この本をかなりシンプルにまとめています。全ページ数は94ページ。100ページもないんです。

ただし、この方、「誤解を生むような、間違ったメッセージを伝えないような」言い回しを選ぶので、1つの文が長い、すごく長いです。

主語と述語の問題を抜き出す現代国語の問題には最適かもしれません。

ちょっと眠気があるときに読んでいると6ページ位読んでから全く文の意味がつかめなくなって、戻ることもしばしば。私にはこのボリュームでちょうどよかったです。

 

今回の読み方は、市民哲学者になることではなく、普段の生活に役立つ情報を取り出すことでした。このフィルターで読んでいくと、とても良い言い回しがいくつもありましたので、その中から1つ、ご紹介します。

 

第一部…学校で学んだことだけじゃなくて「旅でよう」!

    経験し、チャレンジし、反省して、

    「何かいいことを見つけよう」

  

    「今までやっていたから」という、前例や慣例にとらわれないで

    考えてみようぜ!

 

いきなりこんなフランクな提案が出てきて驚きました。

デカルト=自室で一生哲学していた人、という先入観があったので、公の場に積極的に出ていこうなんてセリフを口にするとは思っていませんでした。思い込みは怖いです。

 

彼が言いたいのは、学校で学んだ数学、哲学、神学といった学問は一長一短があって、これが一番というものが無いんだ、ということ。

そして、社会に学問をそのまま持ち込んでも、役立たない、と気づいたことです。

 

だから、外に出よう。旅に出て、いろいろ挑戦して、失敗を繰り返したら、何が大切か、わかるんじゃないか、といってます。

 

これは同意です。例えば、接客サービスの本をいくら読み込んでも、実際に接客を長年している人には敵わない。通信教育で空手を学んでも、実技をしなければ上達しない。習うより慣れろの精神に近いです。

他にも、「俺たちが出来る確実な良いことといえば、『健康』だよ」とか、「迷ったらとりあえず国の法律を守ろう」とか、哲学者という肩書のイメージを崩してくれる道徳精神を見せつけてくれるます。デカルトさんのイメージがかなり好転しました。

 

・ワープ読書法

 

その他、これは本の内容に関係しない、本の読み方の話に触れます。

「本読み飛ばす」ということ。文中の一部分を丸丸読まない、ワープ読書法です。

 

これまでは、「せっかく読んでいるんだから、冒頭から末尾に至るまで全部目を通そう」という、一種義務感のような気持ちで読んでいる時がありました。

 

ポケモン全種類揃えようとか、ガチャガチャを(ネットで単品購入してでも)コンプリートしたい、といった習慣に似た、完全を求める心があったんだと思います。

 

ただ、今回はその読み方をやめました。理由は2つあります。

1つには、先にお伝えした通り、「自分の生活に役立つ情報を得る」という目的で読んでいたことです。

今回、方法序説の内、第5部を途中まで読んでやめました。この目的で読んでいると、驚くほど情報が頭に入ってこなかったからです。身体の構造について触れたあたりまではわかったんですが、その後はちんぷんかんぷん。

自分が今得られる情報は無い(もしくはわからない)と感じ、あきらめました。

 

昔でしたらここで読書をやめてしまうところです。しかし、そこはこの本の構成が良いのか、第6部は普通に読み解くことができました。目的を意識していると、「読むところ」と「読まないところ」の識別がすぐにできます。

 

2つ目は、読むことに100%注力するよりも、60%の読書に、40%の思考時間と、発言(書き込み)時間を設けたいと思ったからです。

とにかく私は、発言が足りません。また、発言が足りないので、思慮の浅さに気づくこともできません。頭の中で何を思っていても〇✖はつけられない。だから楽ではあるけれど、成長の機会も無くなってしまいます。

読書を「出来合い」としての演劇鑑賞に位置付けず、「自由参加型」のワークショップのつもりで付き合っていきたい。というのが今の気持ちです。

正にデカルトがいう、学んだことだけじゃなく、経験を積んで、チャレンジ・反省しろ、ということの実践です。

 今はその機会として、こういったブログや、SNSという発信装置があるので、気軽に発言が出来て良いですね。

 

 また、読んでいただけるという意識で、言葉選びにも良い緊張感があります。

「面白かった~!」という感情の浮き沈みだけに満足しない、読書ライフを楽しみたいものです。

 

 皆さんは読書した後の発信効果をどう思われますか?ぜひご意見お寄せください。

 

 

 

 

 

 

 

※今回は本の一部を私の理解の範囲で訳していますので、もっと正しく読み解きたい方には、原本を一読することをお勧めします(効能には個人差があります)