「道」楽クエスト

与曽井清司の個人ブログです。どんな場でも楽しめる生活スタイルを日々紹介します!生活を「ちょっと楽しくする」にお役立てください

質問 自分の生活に一本の芯があるとしたら

おはようございます。与曽井です。

この3連休は幸い実家に帰省できました。今は長野の自宅からエントリーしています。

 

帰る時の電車のすし詰めには辟易しました。。。

高速バスは予約が遅れて乗れず。代わりに乗った新幹線や特急でしたが、連休前日ということで帰省客と旅行客で満杯でした。

結局座れず、数時間立ちっぱなし。不意な筋トレになってしまいました。おかげさまで少し筋肉痛です。

 

さて、今回の話題は自問自答するつもりで、タイトルの件、自分の背骨といいますか、過去を振り返った生活の仕方を考えてみます。

 

私は今年で37歳になります。

これまで、学校に通い、就職し、転職。一見通う先も、やることも変えながら生きてきました。

そんな中で、自分に通してやっていることは何だろうか?

何か、自分が徹頭徹尾してきたことはあるのだろうか?それを考えてみます。

ちょっと自分史的な話になるかもしれませんが、おつきあいください。

 

1 遊ぶことは中心

2 遊んでいるのに満足しない

3 本当に求めていたものは○○

4 なので、これからは

 

1 遊ぶことはとにかく中心

 

 

学生時代から、最初の仕事まで、自分の中心にあるのは、とにかく「遊び」でした。

 

1980年代というと、ちょうどファミリーコンピュータが発売され、家庭用ゲームが出回り始めた世代です。

 

我が家にはファミリーコンピューターの代わりに、MSXという、テレビにつなぐようなパソコンや、NEC製のPCエンジン、セガ製のメガドライブがテレビの前に鎮座して、日々私を楽しませてくれました。 

ーこんな環境を用意してくれた父、兄に感謝感謝です。

 

そういった訳で、学校が嫌いというわけではありませんでしたが、日々の中心はゲームであり、それを一緒に遊ぶ友人でした。

ゲームの発売日には有休(いわゆる自主休日)をとっていたことが懐かしいです。

 

あと、原体験として残っているのは、自分で作ったおもちゃで友人逹に遊んでもらったことです。

子供の手遊びのようなもので、ダンボールや、ビー玉、輪ゴムを使い、簡単なピンボールを作ったことがあります。小学校3,4年生くらだったでしょうか。

それが思いのほか出来がよく、クラスの友人間でとても流行ったのです。

 

自分が遊ぶ、ということと同時に、「遊んでもらうこと、楽しんでもらうこと」を初体験したのはこの時です。 

 

20年経っても、たまにこの時のことを思い出す。とても貴重な体験だったに違いありません。

 

2 遊んでいるのに満足しなくなる

 

遊びに遊んだ 学生時代をすぎた後は、就職です。

 

遊びというのは憎らしいもので、その場では何よりも代え難い充実感をくれるのですが、それそのものは、表だって人生の方向性を指し示してくれません。

 

もちろん、深いところでは、生き方への気づきがあったり、人生の選択をするときの大切な原体験になってくれることは体感しています。

 

※つい最近体験したことです。遊びの中でも、特に精髄が深められているスポーツという分野。

ここに携わっていた人は、とても仕事に対して意見が深い、もしくは行動力に優れているなーと気づくことが多々ありました。

もと甲子園球児であったり、サッカーの全国大会出場した選手は、発言の勘所がわかっていたり、商談の落ちどころ、すなわちゴールがどこなのか、素早く見つけます。また、感情的になる以上に、目的に焦点をあわせる、集中力を高める術を熟知しています。

「一芸に秀でるものは多芸に通ず」 という宮本武蔵の一言を理解するきっかけになりました。

 

とはいえ、先ほども言ったように遊びそのものが人生の指針を示すものではありません。

 

大学という猶予期間が終わったら、自分はどうしようか、どうすればいいんだろうか・・・

 

そんな時、自分がぼんやりと考えたことは次のようなことでした。

それは、「遊びに関する仕事だったら、楽しいに違いない。逆に、それ以外の仕事はただの作業であって、楽しくないに違いない」

この浅はかな思いこみでした。

 

24にもなってこの考えにどっぷり漬かった大学生が活動した先は、娯楽業界です。

 

人が遊び、遊ばせる場に関われば、これまで24年間してきた生活と矛盾なく過ごせるのではないかと思ったのです。

ここまでの経緯をお伝えすると、なるほど、一本筋の通った選択だ!と思われる方もいるかもしれません。

 

ただ、今振り返って思うに、当時の私は筋を通したというよりは、筋をはずれた道を知らなかった、選択すらしていなかったのだと思うのです。

 

大学の学科を消去法で選んだように(数学ができなかったから選んだ、消極的文系学生と呼びます)今楽しいことを続けたいという継続的な欲求を優先させていました。

 

「何かをしたい」というよりも「今の考えを変えたくない」

「選択肢を広げたい」よりも「革新的に価値観を変えない、無難な道を選びたい」

 

こんな考えを、美辞麗句で柔らかくつつみ、キャリアプランを作っていた。これが今の見立てです(無難な会社なんで受けました~なんていって、内定とれたらえらいことです)

 

今だからこそ、10年以上前の自分を分析できますが、当時はこの美辞麗句をもって会社訪問です。

 

最終的に自分が一番慣れ親しんだ娯楽の場、ゲームセンターの会社から内定をいただきました。

その会社には約10年在籍しました。

店舗運営を1スタッフとして学びながら、年がら年中ゲームに触れる日々です。

もちろん仕事中に「遊ぶために遊ぶ」ことはありませんでしたが、ゲーム機を組み立てたり、より遊びやすくするためにメンテナンスをする作業はとても充実した日々でした。

 

また、娯楽の1つとして、ゲームを通したイベントを企画・運営することがありました。

 

たとえば、対戦ができるゲームでは、ほかのお客様と競い合うような大会を行います。

 

ゲームにとっつきずらいお客様には、まず触れてもらうことを目的に無料ゲーム提供を行うことで、抵抗感をさげてもらうように配慮しました。

運営と、企画を行う日々は、入社前願っていた内容とイメージはずれることなく、とても充実した仕事でした。

 

そのイメージ、仕事感がずれ始めたのは、20代後半からです。

このタイミングで、店長・エリアマネージャーと、管理職的としての立場、仕事は自分の任務となってきました。

 

これまで行ってきた仕事は優先順位の下に回りました。そして、部下育成指導や、全体の数値管理、戦略立案、苦情対応といった仕事がリストの上位を占めるようになります。      

 

ここに至って、仕事中の感覚が変わる感覚がでてきました。ストレスという言葉で言い換えると近いかもしれません。

 

「自分は今なにをしているのか」「何とか解決させよう」という気持ちが優先し始めるようになりました。

遊びという仕事をしていたはずでした。そのときも同じビジネスモデルにいながら、遊びの感覚が徐々に無くなってしまったのです。

当時はとても不思議でした。遊ぶ仕事にいるのに、満足しないときがある。10代、20代前半のような気持ちになれない。

自宅のテレビに向かい、白いコントロールパットを握っていた気持ちはどこへ?という空虚な気持ちになりました。

 

3 自分は遊ぶことが好きなんじゃなく、○○を求めていた

 

今までしていたことに疑問を覚えはじめた30代前半。このあたりの日記やメモをみると、仕事の内容とともに、その意義や、社会への貢献といった言葉を使って仕事のことを考えているのが読みとれます。

 

物心おぼえた頃から触れていた「遊び」に裏切られたあと、次どうすればよいのか、試行錯誤していたのだと思います。

就職直後は、自宅での読書というと、実務的な知識を増やすためのもの、たとえば簿記やサービス接遇についての本をよく読んでいました。それが、この頃は処世術や考え方についての読書にシフトしていました。

 

小池龍之介さんの 考えない練習 

考えすぎたり、心のわだかまりを自分の意志だと勘違いしてしまうことを戒められました。また、興奮や刺激を追い求める生き方への注意喚起を受け取りました。

  

井上明人さんの ゲーミフィケーション 

ゲームそのものだけでなくとも、楽しみは提供できる。そのエッセンスを盛り込んだ社会の仕組みや、ビジネスサービスは、より利用者に充実した時間を提供できることを示してくれました。

 

フランクルさんの 夜と霧 

ナチス強制収容所で死と隣り合わせであっても大丈夫。家族の生き死にがわからない状態であっても、美しさを感じられる瞬間があることを実体験から伝えてくれました(先日この本を話題にしてくださった講師の方がおり、大変驚きました)

 

お世話になった本の名前をあげれば枚挙に暇はありません。

 

こういった本のほかにも仕事外の人との出会いも大変影響を与えてくれました。

主に出会った場所は朝活です。早朝の一時間に職場近くの喫茶店やファミリーレストランがその集合場所でした。

まったく違う仕事をしている方々の苦労話や、自分の夢のために企業活動をしている方。一人一人の話が新鮮そのものでした。

 

そして一番の衝撃と、確信を与えたのは、「娯楽業に携わっていない人も、充実している。楽しそうな人がいる。」という事実でした。

 

当たり前?

いえいえ、これをに気づくのに私は30年かかりました。

 

回りをみればすぐにわかった?

いえ、わかりませんでした。

自分が遊んでいる時に他の商売がどうなのか、想像する必要性がありませんでした。悩んでみて初めてその切り口を手に入れました。

 

こういった出会いや気づきを経て自分がもった価値観、人生観は次のようなものです。

 

(1)楽しみは遊ぶことからのみ得る感覚ではない。

ある条件がそろうとどんな時、いかなる場所でも得ることができる。

 

 (2)自分はその楽しみを遊び、ゲームからしか得る術を知らなかった。物事の見方が狭く浅かった。

 

(3)その見方を広げていくことを自分のミッションにすることで、自分も関わりあう人もより楽しい感覚を得られるのではないか?

 

(4)ただし、その楽しい感覚に善悪は無い。

悪いこと、誰かに害悪をなすものでも、楽しめてしまう。なので、より社会貢献だと位置づけられる行動を選び、そこから楽しみを見いだしてみてはどうか。

 

この考えに至ったことが、30代での転職理由の1つになりました。

 そして今は、医療介護関係の仕事で働いています。

その業種業態を選んだ理由は(4)に基づいていることは言うまでもありません。

 

4 そして、今があると考える

普段よりかなり長文になってしましました。あと少しおつきあいください。

 

これまで述べたように、自分の学生時代の生活と、仕事につながる「遊び」への執着が自分の生活の大部分でした。

そして、仕事変わることから生まれた違和感は、それまでの働き方、生き方を省みる絶好の機会になりました。

いろんな方との出会いや、読書を通じて、自分の考えが「間違っていた」というより、「浅かった」ということに気づかされました。

 

今、自分のミッションとしていることは、この確信をもって、楽しみはどんな場でも生み出せることを確かめてみることです。

ちなみに、この楽しみとは娯楽や、レジャーといった1つのビジネスモデルに限らず、あらゆる業種・業態、家族関係を含んだ人間関係に当てはめられるものです(野心家です!)

 

また、まだまだ勉強不足です。

楽しみの本質とは何だろうか?悲しいとき、怒るときに強引に楽しむことは不自然では?なんてことはすぐに浮かんでくる疑問です。

この矛盾とどう向き合うのか?

この答えを見つけながら、頭の中だけでなく、実際に形にしていくこと。

これが、今思いつく、「自分の生活の一本の芯があるとしたら」という解答です。

 

一本の芯があることを良しとするのか、という疑問はありますが、一度考えてみると面白いテーマでした。

 

~皆さんが昔からやっていて、

 今でも思わずやっていることは何ですか?